今回は、久しぶりにまじめな話をひとつ
イデアの講師鉄則の第1条に『教育の『教』は教え指導すること。『育』は子供たちが自ら育つことと心得よ』というのがあります。
今更ながら、イデアHPを覗くと、書いてます書いてます。まだTNTが若かりしころの熱い想いが・・・
一般的には、『教』が学校などで行われている一斉授業。『育』が個別指導的なニュアンスでとらえられがちです。あるいは、『教』が、我々世代の受けてきた教育。『育』が、これからの不確定な未来を切り開いていくための次世代の教育・・・と、とらえることも可能ですね。
近代の学校教育制度そのものが、国民皆兵時代、国家総力戦遂行のための施策(ビスマルク時代ですね。)として始まった・・・と聞いたことがあります。
始まりの動機はともかく、現代において、教育は国の未来を支えるための重要な要因。国家(文部科学省?)も、ゆとりたらなんたらと時代時代を見据えて施策を打ってきたのでしょう。それが正しかったかどうか? よかったかどうか?なんてことはわかりません。
ただ、このままではアカンということで悪戦苦闘されていたのだと思います。このままではアカン・・・TNTもよう~くわかります。しかし、具体的にどの施策がベストなのか?なんて、わかるわけがないのです。世の中の教育評論家を名乗る先生方は、あ~だこ~だとおっしゃいますが、TNTを含めて、古臭い教育を受けてきた同志でもあるわけです。そんな古臭い教育受けてきた先生方が、何をかいわんや!なのですが・・・
話を本筋に戻しますと、これからは『育』が大事なんだということなのでしょう。幸いにもICTなどという、人間の限界をリカバーするテクノロジーが登場しつつある時代でもあります。そんなICTの技術を使って、『育』の充実を図りましょうってなことなのでしょう。さてTNT、このICTなるものにいささか疑問を持っていました。教育の問題点を解決するためにICT技術が導入されるのではなく、こんな技術があるけど、教育分野にこんな風に使うともうかるよ!という感じで導入されているような、そんなうがった見方をしていたのです。
ICT技術開発の動機はともかく、『育』に有効であれば、それでいいじゃないか!・・・と昨今は思うようになったTNT。
さてイデアはというと、先立つものが無いので、ICTに投資などできません! 古臭い人間であるTNTがトップたるイデア。古臭いまま突っ走っていくしかないのでしょうね。
・・・いつもながら、こんなことを吠えたかったわけではないのですが・・・